細野晴臣さんと笑福亭鶴瓶さん人形

ずっと、ブログを書きたいな、と思っていたものの、今年に入ってから息つく暇もなく。
ようやく少し落ち着いたので、お年賀以降の初投稿します。

まずは、お馴染みの『AERA』にて、21年2月22日号から4回、
細野晴臣さんと笑福亭鶴瓶さんの往復書簡の短期連載があり、
お二人の人形を作らせて頂きました。

普段、あまり好きではない政治家ばかり作っているので
好きな著名人を作れるのは嬉しいですね。


※原稿部分は著作権保護のためにぼかしています。

とはいえ、ファンの多いお二方なので緊張しました。
鶴瓶さんはキャラ化しやすいかと思いきや、立体だとそう簡単にはいきません。
スキンヘッドに近いスタイルの方は、頭の形一つで印象が変わってしまうのです。

この号に続いて4号続いて掲載されたのですが、
せっかく立体なので右向いたり左向いたり、いろんなアングルで撮影して頂きまして、
それがほぼ初対面のお二人の、かみ合う様なかみ合わない様な、
ちょっとくすぐったいやりとりにマッチしている感じがして、なんとも嬉しかったです。

濃厚な人生経験を重ねられたお二人の言葉はハッとすることばかりで、
こんな時代を生きていくヒントが散りばめられておりました。
どんどん盛り上がってきた…!というところで連載が終わってしまったので、
この続きをまたどこかで拝読できたらなぁ…と、切望しております。

明けましておめでとうございます2021

 
明けましておめでとうございます。
毎年、一年間で制作したもので一番気に入ってる作品を年賀にしていて、
立体イラストが多かったのだけど、今年は久しぶりに平面にしました。
『キンダーブック がくしゅうおおぞら』で描いたイラストです。

昨年はなぜか俯瞰図ばっかり描いていて、立体はすごく少なかったのでした。
立体と平面を行ったり来たりしていると、いろんなことを考えます。
平面には背景に包まれた優しさや暖かさを感じるけれど、
立体には物が単体で立っている緊張感を感じます。
立体は常に内側と外側の間で拮抗しながら奇跡的に立っているのです。

なんの話が始まったんだ?という感じですが、無理くり新年の挨拶につなげると、
昨年は誰もが相反する価値観の間で拮抗しながら、奇跡的に立っていた一年だったと思ったのでした。

ってことで、今年は良い年になります様に! 本年もよろしくお願いいたします。
『キンダーブック がくしゅうおおぞら』2020年10月号観音扉【いろいろなへやがあるよ!】1

『キンダーブック がくしゅうおおぞら』10月号

『キンダーブック がくしゅうおおぞら』10月号では、来年小学校に入学する子どもたちに向けて 小学校ってどんなところか紹介するページのイラストを描きました。『キンダーブック がくしゅうおおぞら』2020年10月号観音扉【いろいろなへやがあるよ!】1 こちらが3〜4ページ。『キンダーブック がくしゅうおおぞら』2020年10月号観音扉【いろいろなへやがあるよ!】2 こちらが5〜6ページ。 ふたつの本を並べると、 バーン! 全貌が眺められるのです。 キンダーブックは幼稚園で配られる本なので、お友達の本と並べて遊んでくれるといいな。
別のイラストレーターさんのキャラクターや写真も載るので、煩雑にならない様にPCで着色。 コピックも好きだけど、お子さん向けには単色塗りもポップで良いですね。 遊び心がふんだんに盛り込める楽しいお仕事でした。 今年は休校が続いたりで、学校も寂しかったと思いますが、 早くこんな風に密で賑やかな光景が、子どもたちの元に戻って来ますように!
『AERA』20年9月21日号A/朝日新聞出版

『AERA』20年9月21日号にて、肩こりちゃん作りました

『AERA』20年9月21日号に載ってる肩こりちゃんです。
『AERA』20年9月21日号A/朝日新聞出版
『AERA』20年9月21日号B/朝日新聞出版
『AERA』20年9月21日号C/朝日新聞出版

私もコロナ以降はいっちょまえにZOOM会議に参加したのですが、
画面越しの皆様の華麗なるテレワークコーデを思い出して作ってみました。

会社にいるよりラフなのだけど、くだけすぎないナチュラルテイスト。
家にいるけど化粧はしなきゃ。でも合間に家事もするし。リラックスしたいし。
みたいな。
…イメージですけどね。

掲載されたのは9月なので、まだ東京都の自粛要請など出ていた頃で、
慣れないパソコン作業の眼精疲労や夏の自粛疲れが蓄積して
肩凝りまくった方も多かったのではないでしょうか。

写真だとわかりにくいけど、後ろ髪の毛の中にこっそり穴をあけています。

竹ひごが刺ささっていますね。
ここにハッポースチロールの岩を5段重ねると…、


ジャーン!
重い重い重い!ガッチガチですね、おねーさん!かわいそうに!

いや〜しかし、超絶なバランスのものを作って立った時は嬉しいです!

バリエーションとして、


こーんなこともできますし、


こーんなこともできちゃいます。

この子、池田和子っていうんです。
facebookに投稿したら、デザイナーの友人が命名してくれました。
わたしは密かに、ほのかちゃんって呼んでたんですけど、
ほのかじゃ「萌え」が足りないみたいです…。

あ、メガネ女子といえばこの子もいた。


去年作った花粉症ちゃんです。
あ、でもこれはメガネじゃなくて花粉避けのゴーグルだった。

『AERA』18年2月18日号A/朝日新聞出版

本番撮影では(私が)うっかりゴーグル忘れてったので、
裸眼で写っています。目がさらに痒そうでかわいそうです…。

でもメガネ外した方が可愛いかな、この子は。
まだ名前がついていないので、ついでに募集しておきます〜。

肩こりだの花粉症だのに悩まされながらも、頑張って働くメガネ女子たち!(2つしかないけど)
まさにAERAの読者層!?(…と思う)
妙な親近感が湧いて気に入っています。

今年はコロナ禍で更に大変だけど、働き方も変わってきて暗い話ばかりじゃないですよね。
混迷の時代に逞しく生きるAERA女子の皆さん、あまり頑張りすぎないで、
息抜(生き抜)いていきましょう〜。

ということで、
VIVA!!1107(イイオンナ)!

『日経アーキテクチュア』2020年8月27日号【ICTが実現する未来の病院】/日経BP社

『日経アーキテクチュア』2020年8月27日号

『日経アーキテクチュア』2020年8月27日号にて、未来の病院の俯瞰図を描きました。『日経アーキテクチュア』2020年8月27日号【ICTが実現する未来の病院】/日経BP社 久しぶりにコピックで塗りました。やっぱりアナログは楽しい。
この病院は、感染外来のエントランスを別に設けていたり、AIによる診察室の常設、待合室の縮小などが特徴です。
コロナ以降別の媒体でも、未来の薬局、住宅、会社を描きましたが、コロナによってアップデートされるであろう未来を暗中模索しています。

ミラクルでダイナミックな孔子の教え——『生きるための論語』(安冨歩)

儒教…というと、悪いイメージしかなかったのです。 家父長制をはじめとしたそのイメージから、「孝」とか「忠」とか「義」とかいう漢字にも、「年功序列だ!男尊女卑だ!滅私奉公しろ~」みたいな抑圧的なイメージしか感じてこなかった。こんなもん輸入したから第二次世界大戦時にも「お国のために~」みたいな理屈を成立させ、たくさんの命をないがしろにし、戦後は戦後で受験地獄だサラリーマン社会だ、個人を抑圧する窮屈なシステムばっかり築き上げ、女性の社会進出も遅らせたんじゃないのかよ、みたいな。 とにかく良いイメージがまるでなかったのです。

高校の時、世界史の授業で諸子百家の話に初めて触れた時も、荘子の「胡蝶の夢」には惹かれても、孔子という人がどんなイデオロギーで何を伝えたかったのか、いまいち理解できなかった。道教は面白そうだけど、儒教はつまらなそうだった。 でも角川映画の『里見八犬伝』なんかでも、「孝」だの「忠」だの書かれた玉をありがたそうに集めるじゃないですか。そんなつまらなそうなものを、何故そんなに必死に集めるのか、本当に意味不明だった。

けれどアジアを旅すれば、横浜中華街をはじめ、台湾だろうが、韓国だろうが、マレーシアだろうが、「寺」ではない「廟」というものがあって、そこに人々が集まって、熱心に祈りを捧げている。 中国、台湾、韓国、日本という東アジアの広範囲から、華僑を通じて東南アジアまで、これだけ広い範囲で普及して、多くの人の日常の隣にある教えや信仰を、ちょっと齧ったばかりのフェミニズムで一蹴して良いわけがない、のだ。

フェミニズム的な観点から否定するのは、いとも簡単だ。簡単すぎて、心がなくて、自己嫌悪する。 都会のリベラル層が至極当然の常識の様に宣うフェミニズム的な言説が、地方の老人どころか、そこら辺の主婦にさえも、まるで通じやしない無力感は何度も感じてきたわけで、それと同じく、東アジアの多くの地域で人々の心の支えになっている儒教というものを理解しないことには、何が是で否と感じるのか、心から伝えることなどできやしない。

何より、自分がアジア的な見識を信奉しているのに、根本的なところで否定してしまっているという自己矛盾。アジア的なものの良いところ、悪いところを冷静に見極めたいのに、儒教って何なの? 詳しく知りたい。…かと言って、学術書はハードル高いし、眠くなる自信満々だ。だから数年前に100円くらいでポチった酒井順子さんの『儒教と負け犬』を読んでみたのだけど、これはちょっと浅すぎたし、ますます儒教が嫌いになっただけだった。

だから、安冨歩さんのこの本に出会えてとても嬉しい。 「学」んで、それが身体化するのが「習」。その理屈はすごく解る。この本を読んだ直後の今の私は、こうして頭で解釈したことを書いてみているのだけど、それは身体化するための作業であって、まだ実を結んでいない実感がある。 そして、答えは既に自分の中にあるということを示す「如」という概念は、おそらくカバラやタロットの考え方にも通じるものがある。ただ、自分の中にあるからといって放って置いても、様々な外的要因によって目が曇り見えてこない。タロットはカードを使って、その曇りを晴らすのだけど、『論語』的には知り(知)それを身体化すること(習)を繰り返し、過ちは常に改めて、そうすることでの曇りなき状態(仁)を維持する。タロットカードは手助けにはなるけれど、どこか手抜き感も感じていたので、自分の状態維持という点では、孔子の自己生成的な方法はしっくりくる。

あれだけ嫌なイメージしかなかった儒教がミラクルなものに感じてきた。

著者が書いているように、時代が下り、中国でも日本でも、その時々の政権によって都合よく解釈され支配しやすい様に歪められた「儒教」にしか、私は触れてこなかったのだと思う。一方的な命令系統に成り下がった儒教は、孔子の相互運動的なダイナミズムに真っ向から反していることがわかり、目の前の霧が晴れていった。

ここでもう一度、台湾や韓国、マレーシアの廟で真摯に祈りを捧げている人々の姿を思い浮かべてみる。 その人々は、単なる慣習で行っているだけかもしれないけれど、日常の隣に信仰がある風景には、効率ばかり求めない心の豊かさを感じてほっとする。それは、私が好きなアジアの一側面である。 孔子が伝えたかったのが、魂の脱植民地化であるのなら、それは私が希望を感じるアジアの姿に一致する。 この本を読んで、そんな核を一つ見つけたような喜びを感じている。

『おしごと年鑑2020』ブックオフ俯瞰図/朝日新聞

『おしごと年鑑2020』(朝日新聞)にブックオフの俯瞰図掲載

おしごと年鑑2020』(朝日新聞)にてブックオフの俯瞰図を描かせて頂きました。

かなり分厚い、こんな本です。

パラパラ見てると大人でも面白い。
お皿の絵付けから、商社の仕事まで、知らないことばかり。
色恋沙汰より将来の夢とか仕事とかそんなことばかりに興味があった小中学校時代、社会の仕組みが知れるこういう本が大好きでした。

『おしごと年鑑2020』ブックオフ俯瞰図/朝日新聞
小さめのカットですが、28人詰め込みました!

誌面はこんな感じ。

子どもさんに仕事のことを語る時、ついつい現実的なことも語ってしまい、夢を壊してしまったかな〜なんて思うこともありますが、子どもたちにとっては社会に一歩一歩根ざしていく知識や体験の積み重ねの方が、ふわふわした夢の世界よりもワクワクするものかな、と。少なくとも自分の子ども時代を振り返るとそうだった。
大人の世界のシュミレーションであるおままごとは、いつの時代も子どもたちにとっての楽しい遊びの定番ですしね!

『AERA』20年6月1日号A/朝日新聞出版

『AERA』6月1日号 コロナ鬱人形作りました

ブログ、しばらくサボっていましたが、コロナ中もお仕事してました。
こちらは『AERA』6月1日号で作ったコロナ鬱人形です。マスクは着脱式です。
5ページ目の、慣れないリモートワークに喘ぐ男性のカットがお気に入りです。

『AERA』20年6月1日号A/朝日新聞出版 『AERA』20年6月1日号B/朝日新聞出版 『AERA』20年6月1日号C/朝日新聞出版

大なり小なり、多くの方があらゆるストレスを抱えているコロナ禍ですが、どうぞ皆様、無理をせず自分を大事にしてくださいね。

ところで、この一ヶ月くらい、ひたすら片付けをしてました。
その際、過去5年分くらいの『AERA』をザザーっと一気読みしたのですが、どの記事も少しも古びず興味深かったので、結構真剣に読んでしまいました。

コロナ禍で、政治の問題、排他的な差別、グローバリズムの弊害や自然破壊など、様々な問題が浮き彫りになりましたが、どれもこれも今に始まった話でなく、ここ数年で積もりに積もった問題が、コロナを機に一気に噴き出したという印象だったから、全てがリアルタイムに感じたのかもしれません。

考えてみれば個人的にも、掲載誌や制作物を片付ける暇がなく、ここ数年分のものが溜まりまくっておりました。気持ちを一新するために、日々片付けにいそしんでいます。

最近もレバノンや香港など、衝撃的なニュースがたくさんありますが、時代を見つめながらも惑わされず、自分のやるべきことをして行きたいと思っています。

ポスッとコロぶ旅 その2 イポー(前編)


2020年2月6日、世界はコロナウィルスへの不安に包まれていた。
今まで買ったこともない類の衛生用品を詰め込んで飛行機に乗りこんだものの、機内トイレの蛇口のボタンがわからず手洗いを出来なかったのが気になっていたわたしは、空港に着くや否やトイレに駆け込んだ。そうして悠長に歯磨き、手洗い、洗顔をしてからイミグレーションにたどり着くと、長蛇の列ができていた。

結局1時間も並んだ末にようやく入国、慌てて荷物をとり、スマホのSIMを入れ替え、両替を済ませ、バス乗り場に走ったものの乗り場がわからない。
そこら辺にいるおっさんに手当たり次第に「イポー?イポー?」と聞き散らかして、示された方向に走っていくと「TO IPOH」と書かれたバスが悠然と目の前を走り去っていった。
わたしは<イポー…!>とかすれた声をあげながら、力なく虚空に手をふってバスを見送ったのだった。

時間も入念に下調べし、到着から2時間以上も余裕があったのに、まさか間に合わないとは…。
やっと見つけたチケットカウンターのおばちゃんに聞くと、次のバスは2時間15分後とのことで、途方にくれる。
「旅にトラブルはつきもの。いや、これくらいのトラブルで済んで良かった」と思い直し、綺麗なカフェでマレーシアの朝ごはんを楽しむことにした。

トラディショナルブレックファーストとやらには、トーストの横に卵が2つ添えられていた。
高床式のマレーの家の傍で小刻みにリズムを踏むにわとりを想像し、ほのぼのとした気持ちで割った卵は、ゆで卵ではなく生に近い半熟卵で意表を突かれる。 「半熟卵を食べるのは日本人だけだ。それほどに日本の衛生管理能力はすごいのだ」と、先日友人から聞いて感心したばかりだったので、なんだ、あれも昨今流行りの「ニホンスゴイ」のガセネタだったのかと思いつつ、どうしたら良いのかわからないので、殻の割れ目に口をつけて2つともチューチュー吸いつくす。
本当はパンにかけて食べるものだと知ったのは、だいぶ後のことだった。



バスのリクライニングは快適で、延々と続く椰子の木を横目に眺めながら仮眠をとり、予定より2時間以上遅れてたどり着いたイポーで暖かく迎えてくれたのは、ガイドのチョン夫妻だった。
旅行一週間前、イポー行きの鉄道予約が埋まってしまい日帰りツアーを探していたところ、ネットで見つけた個人のガイドさんである。交通手段も含め相談してみたところ、日程を少し変えれば空港からバスで行けることがわかり、現地での運転や通訳もしてもらえると言うのでお願いしたのだった。
妻のアスカさんは日本人で、ご両親がマレーシアに移住していた関係でチョンさんと知り合い、結婚されたのだ。 彼女は事前に聞いていたわたしの要望を具現化した完璧なプランを立ててくれていたのだけど、大幅な遅れにも柔軟に対応して下さり、まずはバスターミナルから一番近い洞窟寺院に行こうと提案してくれた。

イポーはマレーシアの西側、ペナンとクアラルンプールのちょうど真ん中くらいにある、マレーシアで三番目に大きな都市だ。けれどガイドブックの情報は非常に少ない。
19世紀の末頃、缶詰めなどブリキ需要の拡大で錫鉱山が興盛し、中国南部からたくさんの労働者が移住してきたらしく、中国系の住民が多い。1970年代に錫鉱山が閉山されるまでは、とても賑わっていたそうだ。
今は、ゆったりとした空気が流れる静かな街だけど、引退後の移住地として日本人に人気で、アスカさんのご両親もそんな経緯で移住してきたらしい。
石灰岩の多いカルスト地形で鍾乳洞が多く、その洞窟を利用して建てられた仏教寺院もたくさんある。イポーで主に回りたかったのは、そんな洞窟寺院だった。


ペラットン洞窟寺院(霹靂洞/Perak Tong Temple)は1926年建立の歴史ある寺院だ。
「ペラッ」の漢字表記は「晴天の霹靂」の「霹靂<へきれき>」なのか、かっこいいな〜と思ってふと気になった。
もしかしたらイポーが所在するペラ州の「ペラ」も? と思って中国語表記を調べてみたら、やっぱり同じ漢字で「霹靂州」だった。「雷が轟く州」とは、イカした地名ではないか。
鍾乳洞に入るとド派手な黄金の仏像が鎮座、その周りの壁面にも龍やら観音様がのたくっている。千手観音の周りには飛天が舞い、とぼけた虎の造形物もある。ヘキレキ感満載で俄然気分が上がる。

洞窟内の階段はそのまま外の石灰岩の岩肌に続いている。急斜面に蛇行した階段を登って行くのは軽い登山の趣きで、なかなかきつい。
すでに時計は15時を回っていてお昼も食べていないけど、それは付き合ってくれているチョン夫妻も同じこと。のっけからアクセル全開の展開に多少のハイになっていて、息を切らして笑いながらも、屁っぴり腰で登っていく。

頂上に辿りつくと、いきなり視界が開けて息を飲んだ。イポーの街の隅々までもが見渡せた。
民俗学者の宮本常一が父親に言われたという「村でも町でも新しくたずねていったところはかならず高いところへ上ってみよ」という言葉を思い出した。意図したわけでもないのにその通りになっているのが嬉しくて、自然と顔がほころんだ。
高いところは大好きだ。 街を囲む様に、石灰岩の小高い丘が林立している特異な風景は、カルスト地形特有のものだと素人目にもわかる。

それにしても、かなりハンディサイズとはいえこの山水画的岩山の醸し出す悠久の歴史感と、手前に広がる工場の高度経済成長期的ノスタルジーのミスマッチがたまらない。熱帯のマレーシアで、こんな風景はまるで想像していなかった。
「あれはセメント工場です」とチョンさんが流暢な日本語で説明してくれた。
錫鉱山が下火になってからも、やはり第一次産業が主流なのだろうか。いずれにしても、イポーの豊富な錫資源は、この石灰岩と東側にそびえるティティワンサ山脈麓の花崗岩との接点に多く見出されたらしいから、この特異な自然が街を大きく発展させたとも言えるわけで、この街の栄枯盛衰が一望できるかの様な風景には、何かこみ上げてくるものがあった。

一方で市街地を眺めると長屋の様に繋がった赤い屋根が目に入る。
「あれはショップハウスですか?」
「そうです」
『マレーシア ペナン エキゾチックな港町めぐり⎯⎯』(イカロス出版)によると<ショップハウスとは一般的に、複数の家がひと続きになった、2階建ての長屋形式の建物を指す。中国の華南地方にルーツを持つ民家のスタイルといわれ、マレーシアをはじめ東南アジア各地に移民として渡った、主に福建、広東、潮州などの地域の出身者によって伝わった>とある。
マラッカやペナンでたくさん目にするだろうと思っていたけれど、イポーもショップハウスの街なのか。色も大きさも統一されていて美しい。 マレーシアで三番目に大きな都市が、こんな丘から一望できるコンパクトな街とは思っていなかった。
イポーの今年の人口は81万4千人、日本の田舎と違って人はどんどん増え続けている様だけど、わたしの住む練馬区は72万人で面積は1/13なのだから、そりゃ清々しくも感じるはずだ。引退後の移住地に人気なのが、わかる様な気がしてきた。

市内に戻って名物のモヤシとチキンを食べた。石灰岩によって水が綺麗なイポーでは美味しいモヤシが育つらしい。
ケロットン洞窟寺院(極楽洞/Kek Look Tong Temple)という比較的新しい寺院で庭園を散歩したり、その近所でポメロというブンタンみたいに大きな柑橘類を味見したり、コロニアル建築が美しいイポー鉄道駅を見学したりしてから旧市街に繰り出すと、既に17時をまわっていてお店はだいたい閉まっていた。

カフェで名物のホワイトコーヒーを飲む。いつも砂糖は入れない派だけど、寝不足で動き回って疲れた体には、この甘さが身に沁みる。 早めの夕飯に、肉骨茶(バクテー)も初体験。薬味っぽい味は好きな方で、スープが染み込んだ湯葉も歯ざわりが良く美味しい。盛りだくさんである。



この日泊めてもらう予定のガイドさんの別宅へ寄ってからは温泉へも行った。
と言っても、スパリゾートハワイアンズみたいなテーマパークで、その名も「LOST WORLD」。恐竜と関係があるのかないのか謎だけど、「失われた世界」というネーミングにはグッとくる。 プールの様だけどちゃんとした温泉で、滝や洞窟の造形物で趣向が凝らされている。作り物と知りつつも、洞窟の中に入って立ちこめる湯気にまみれると幻想的な気分になる。

鉱物に恵まれ、水が綺麗で、温泉も湧き出る、なんて豊かな土地なのだろう。 チョンさんが子どもの頃は、ここら辺一帯は普通の川で、和歌山県の川湯温泉の様に暖かい湯が湧き出ていて、もちろん無料でよく泳ぎに来たらしい。
もはやそんな景色の片鱗も想像できないけれど、それこそが「失われた世界」なのかもしれなくて、皮肉なネーミングに苦笑する。
盛りだくさんだった初日も暮れて、これで終わりかと思いきや、最後にとっておきの楽しみが待っていた。

イポー名物スノービール。要はシャリキンのビール版である。
カールスバーグを注文すると、キンキンに凍ったジョッキになみなみと注がれたビールが真っ白に泡立って、確かに雪の結晶みたいで綺麗だった。 待ってましたとばかりに乾いた喉に流しこむと、疲れた体の隅々にまで染み渡って最高だ。温泉上がりの夕涼み、露天でキンキンに冷えたビールだなんて、これ以上に幸せなことがあるだろうか。

つい1日前、ここに来る時の東京は真冬の冷え込みで、厚手のダウンジャケットを羽田空港に預けてきたのが嘘の様だった。
マレーシアの2月はちょうど雨季が終わった後で、1年で1番暑い時期らしいのだけど、夜は涼しく真夏の東京の熱帯夜に比べると断然過ごしやすい。 そういえば、夕涼みってこういうものだったよね…。
東京で夕涼みと思っていたアレは、もはや何も涼しくない。日本らしい情緒のある言葉だと思っていたけれど、いつの間にか東京の方が熱帯になってしまっていて、夕涼みなんてものはとっくの昔に失われてしまったのかもしれないな。



浅草のホッピー通りの様に、東京でも露天で飲める場所はある。でもそんな場所も最近は、観光客向けに開発した様なよそよそしさが拭えない。 ここは混雑もしていないけれど、寂しげでもない。
二階建てで統一されたショップハウスの連なりは威圧感がなく、空が広い。
電飾看板は控えめで闇をかき消すほどでもなく、目を楽しませてくれている。
建物のサイズも街の灯りも等身大で、とても人に優しいのだ。 程よい湿度を含んだ南国の夜空は、何色もの絵の具で描き出したかの様に豊かな黒だけど、水彩画の様に軽い。夜空に揺らめく電飾の下で、家族大勢で来ている人も、男二人で語り合っている人も、笑い、喋り、その話し声は夜風に舞い、一日の労はねぎらわれ、明日の為に消えていく。
24時をまわってもなお賑わい、それでも自棄酒の疲弊感や喧騒感など微塵も感じられはしない。生粋に地元の人たちが終電など気にせずに、ほろ酔い気分を冷ましながら歩いて家路につくのだろう。 すこし目頭があつくなる。

わたしは旅が好きだけど、今までどんなところを旅しても、どんなにその土地を気に入っても、そこに住みたいなてことは安易に考えない方だった。一介の旅行者がそんなことを考えるのは、住民に対して失礼とさえ思っていた。
それが、どうしたものか。おかしいな。 これは全て、通りすがりの旅行者が見た幻だけど、ここにいる誰もがみんな、ここに居ても良い存在として許されていて、肩の力を抜いている。老若男女、金があろうがなかろうが、生きていること、楽しむことに後ろめたさを感じないでいられるのだ。

いや、実際には多くの苦労もあるのだろう。しがらみもあるのだろう。そんなリテラシーを総動員させて甘い誘惑に抗ってみたけれど、子どもの頃に感じていた様な世界に対する信頼感が、失われた世界から立ち顕れて、優しい夜風とともにわたしを包むから。
イポー、ここって、住みたいかもしれない。 はじめてそんなことを考えてしまった。

ポスッとコロぶ旅 その1 九鬼

ここ数年、年末年始は夫の故郷和歌山県新宮に滞在している。折角なので近辺を散策している中で心惹かれたのが三重県の九鬼という場所だ。湾を囲んでせせり立つ斜面に細かな路地が入り組んでいる。
一歩進むごとに風景が変わる。気分も変わる。そういう立体的な街並みは好きで、ここ数年で訪れることの出来たモロッコのフェズやタンジェ、釜山の甘川洞文化村なんかにも似た雰囲気がある。

しかしモロッコのメディナ(旧市街)は、高低差はあるものの、見晴らしが良いと感じる程の高さはない。むしろ登っているのか降りているのかわからくなる酩酊感が魅力だったりする。
タンジェは九鬼と同じく海があるけれど、地中海に向かって突起しているその地形は開放感に満ちている。
甘川洞文化村は、韓国でタルトンネ(月の街)と呼ばれる山の斜面に作られた街で、構造的には九鬼に近いし見晴らしも良い。けれど、海までの距離があって一体感はない。

九鬼は湾と街が一体化している。
同じ海でもタンジェや釜山の様に大型船が立ち寄るわけでもないし、さざ波さえ立たない。
水面は柔らかく、優しい陽光を呑みこむその質感はトロンとしていてジェル状にも見える。
周囲を山々に囲まれているせいか、湾の真ん中の桟橋にしゃがむとしんと音がしない。
あの静けさは、一昨年も今年も訪れたのが一月二日で祭の翌日だったからかもしれないけれど、静寂の中で水面の小さな揺れを眺めていると、胎内回帰な気分にみまわれて、遮断された世界に閉じこもりたくなる。

孤立した地形や、ぶり漁という村全体で共有される経済活動もあるからか、独自の文化や習慣が色濃く温存されている気がするのだ。もちろんそこまで知っているわけでもないので、あくまで他所者の妄想ではあるけれど。でも最寄りの大きな街、尾鷲から車で10分ほど移動しただけなのに、確実に何かフェイズが変わる。
そんな土地柄に惹きつけられてか、移住してきた若い人たちが喫茶店や古本屋を営んでいて、街に溶け込んでいる。半端な地方都市よりも他所の人に対して懐の深さを感じるのは、昔は水軍、今はぶり漁と、独自の才覚で栄えてきた独立心と気位によるものなのか。そんなことを、ふと考えてみた。
何れにしても彼らがいてくれるおかげで、わたしの様な他所者でもふらっと立ち寄ることが出来るからありがたい。今回は坂の途中にあるという古本屋さんを訪ねてみた。

案内してくれた友人が途中で迷い、坂を登ったり降りたりしていると、おばあちゃんとすれ違った。
「どこ行くん?」
「本屋さんです」
「本屋さんならあそこ。あそこの角を左へ曲がったところ」
どうやら通り過ぎてしまった様で、お礼を言って踵を返すと、「あんたたちが曲がるまで見ていてあげる」と言うので急いで坂を下る。振り返るとおばあちゃんはずっとそこで見ていてくれていて、寄り道したら怒られちゃうねと笑いながらその角に到達したので、大きく手を振ると、坂の上で小さくなったおばあちゃんがうんうんと頷いているのが見えた。

古本屋さんは、思っていたより品揃えが多くて驚いた。ほんの少しだけ置いてあった新刊本の中に気になっていた特集雑誌もあったけど、東京でいつでも手に入る本を買っても意味がない。ここで買う本は何だろう。旅情を感じさせる小説なんかあればとても良い。とはいえ小説に詳しくない。
でも今回、新宮に向かう汽車(南紀ビューは単線だからか電車というより汽車という方がしっくりくる)の中で、澁澤龍彦の『高丘親王航海記』を30年ぶりに読み返してみて、それがとても良かったので、満ち足りた気分を持続させたかったのだ。

「眠くならない幻想文学って、オススメありますか?」
無知で雑な質問とは思いつつ、知らないジャンルのことは知っている人に聞いた方が良いので店員さんに尋ねてみた。
「例えばどんな感じのですか?」
「えーっと、澁澤龍彦とか、あと、ガルシア・マルケスみたいな…」
両著作とも一冊しか読んだことないけれど、それくらいしか知見がない。
ああ、と頷いてから、うーんと唸り、彼女はいくつかの本を出してくれた。
その中で気になったのが、多和田葉子さんという方の著作だった。
「ドイツで執筆されてる方で、越境文学と言うジャンルで、今一番ノーベル賞に近い作家と言われているんです」
簡単な説明を受けただけで喰いついてしまった。越境、そう言うテーマにめっぽう弱い。言語に関しての深い考察もありそうだ。
感覚的な言い草だけど、言語は絵画のテクスチャに似ていると思う。正確に言うと、文字は絵画に似ていて、発語は立体に似ている。言語もテクスチャも、ひっかかったり、つっかかりたりして脳を刺激する。幻想文学と言うとふわっとしていて眠くなりそうだけど、言語というとっかかりがあれば集中できそうな気がしたのだ。
『エクソフォニー 母語の外に出る旅』というエッセイが面白そうだけど、『容疑者の夜行列車』という不穏なタイトルの小説も気になる。迷ったあげく、結局2冊とも買うことにした。

東京に帰ってから読んだ『エクソフォニー 母語の外に出る旅』は、気軽に読める文章で、今の気分にぴったりくる内容だった。
「エクソフォニー」とは、母語の外に出た状態を指すそうで、二か国語で執筆している著者が、<自分を包んでいる(縛っている)母語の外にどうやって出るか? 出たらどうなるか?>(ダカールの章より引用)を、各地を旅しながら考察している内容だ。
章タイトルは全て地名になっている。地名は想像力を掻き立てる。この本に倣って、タイトルが地名のブログを書いてみたくなった。

昔なら、数年ごとに住む場所を変えるような人間は、「どこにも場所がない」、「どこにも所属しない」、「流れ者」などと言われ、同情を呼び起こした。いまの時代は、人間が移動している方が普通になってきた。どこにも居場所がないのではなく、どこへ行っても深く眠れる厚いまぶたと、いろいろな味の分かる舌と、どこへ行っても焦点をあわせることのできる複眼を持つことの方が大切なのではないか。>(ロザンジェルスの章より引用)

立体造形は物の正面と側面と裏面、全部作るので、複眼的だ。絵画よりも情報量が多く、SNS並みに疲れるところもあるけれど、全部見てやろうと挑んできた。でも今は複眼以上に、<どこへ行っても深く眠れる厚いまぶた>の大切さを痛感する。

情報に脳が焦げてしまいそうなら、少しだけ後ろに引いてみる。昔読んだ小説を再読してみる。桟橋で水面を眺め、束の間世界を閉じてみる。そうすると、ごしゃごしゃしたデスクトップの様に散らかっていた脳内が、寝て夢を見て覚めた時みたいにすっきり整理され、情報だった断片は、発酵、醸成して自分の組織の一部になる。
たぶんそのために、文学や芸術がある。
閉じる扉は関門ではなくまぶただけ、こもる場所は国や家ではなく自分の中、それだけで十分なのだ。

古本屋さんには人懐っこい猫がいた。そういえばこの日の朝、つまり初夢に猫が出てきたのだった。小動物にあまり興味がないせいか、猫が夢に出てきた記憶はほとんどない。でも夢の中の猫は小さくて可愛くて、わたしにしては珍しく愛おしげに撫でていたのが新鮮で、目覚めてもくっきり覚えていた。

古本屋さんを出てから、さっきのおばあちゃんのいたところよりさらに上にクネクネと石垣の路地や階段を登り詰めると、小さな神社とお寺があった。寺の鐘の傍らから街を見下ろすと、都会ではつい見かけなくなった黒ずんだ瓦屋根の連なりの先に湾がチラチラと煌めいていた。空はまだ明るく冬の弱々しい光が街を照らしているけれど、対岸の緑はすでに色を失い、湾の端にそびえる九木神社の石段には、すでに提灯が灯されていた。

港まで降りて九木神社の石段を登った頃にはすっかり夜の帳が落ちた。
社務所を窓越しに覗くと、浴衣を着た少年が二人、はしゃいでいた。
「小坊主?」「いや、神社だから坊主じゃないよね」友人と軽口を叩いていたら、気がついた少年がまるでセリフの様に「寒くなってきた」と言いながら窓を閉めた。「あ、窓空いていたんだ、丸聞こえだったね…」。わざわざ<窓を閉めるのは、あなたたちのせいじゃないよ>とサインを送ってくれた少年の気遣いに頭が下がる。昨今の子どもたちはとても優しい。

「この神社の裏道を行くと岬の先に小さな神社があるんですよ」と友人が言う。
すでにとっぷり暗い中、山道を歩くのは危険そうだけど、こういう時「行かない」という選択肢はあまりない。歩いてみると意外に距離があり、iPhoneのライトで照らさないと、うっかり崖から転げ落ちそうでヒヤヒヤする。
でもこれくらいのスリルはかえって楽しい。五十路前後の大人が連れ立ってスタンド・バイ・ミーか。いや別に死体を探しているわけでも、自分を探している訳でもない。よもや探すものなんて何もないけれど、いつまでたっても未熟なだけなのだ。

古本屋さんで買ったもう一冊の本、『容疑者の夜行列車』という小説は、こちらも章タイトルが地名になっているのだけど、全てに「へ」がついていた。なんせ夜行列車なのだから、行き先がないといけない。
目次を見ると、<「パリへ」「グラーツへ」「ザグレブへ」「ベオグラードへ」「北京へ」…>と続いて行く。まるで轟音を立てて走る列車を矢継ぎ早に乗り換えて、世界を駆け巡っているみたいで迫力がある。

そしていきなり一人称が「あなた」とくる。え、わたし!? と不意を突かれている内に、まるで催眠術でもかけるみたいに強引に、「あなたは……できずにいる」と断定されるから、そうか、わたし(あなた)はハンブルグのダムトア駅のホームに佇んで、様子がおかしいと辺りをうかがっているのか、と。
知らない世界に放り込まれて戸惑っている内に列車は走り出し、自分の正体も曖昧なまま、知らない土地で、知らない人と話し、時には真夜中のシベリアの凍りついた草原に放り出されている。一人称の消えた世界で、内と外の境界もわからぬまま漂う世界の心地よさに酔っぱらった。

気がつくとわたしたちは、九鬼の岬にいた。
暗闇の中に、小さな掘っ建て小屋と灯台があった。
「あれ? 神社ないじゃん」
「この掘っ建て小屋が神社?」
「なんか記憶と違うな」
「幻の神社だったんじゃない?」
訝しげにそろそろと木造五段くらいの階段を上って曲がると、とってつけたような賽銭箱があり、やっぱりこれは神社なのかと思う。
わたしたちは半信半疑のまま、覚束ない未来に向けて密かに願をかけたのだった。