明けましておめでとうございます。 20年代がやって来ましたね。
昨年末は、仕事以外の制作も始めて、まず一発目に作った作品を年賀状にしてみました。
この作品、トリミングして使ってますが、実際は空がもっと上に長くて、立体で作った掛け軸の様な作品になっています。
少し前に載せたソウル⇄トウキョウ ホドリとガンホ先輩という記事で書いた様な気持ちを元に制作してみました。真っ直ぐな気持ちで作った素直な作品です。『ヘチ』というタイトルをつけました。
ちゃんと撮影したら、作品全体の写真も載せたいと思います。
それから久しぶりに仕事以外の絵画作品も描こうとしたのですが、ちょっと手こずってしまい、年内には仕上がりませんでした。
アクリル絵の具って、立体イラストの仕事では散々使って来たものの、絵画作品にあまり使ったことがなく、手こずってしまったのです。アクリルガッシュっていうのは、立体を塗ることや、デザイン的な手法には向いているけど、絵画にはちょっと使いにくい。だからガッシュじゃない透明アクリルを揃えてみたのだけど、それでもどうにも手こずって…。
いや、やっぱり絵の具のせいじゃないんですよね。
テーマがぼやけていたのかもしれません。 それで悩んで、年末、自分のエキゾティシズムの原点である小説『高丘親王航海記』(澁澤龍彦・著)を読み返してみました。1990年初版の文庫本です。
今までも時折、気に入った箇所だけ読み返したりしていたのですが、全編読み返したのは初めてで、思っていた以上に素晴らしかった。何か、浄化された感じです。
イラストと絵画の違いってとても難しくて、手法の違いって言うのはありますが、そんなのは時代の潮流で変わったりするもので、表面的なことなのかもしれません。
でもこの本を読んで気がついたのは、イラストって言うのは仏教でいう「顕現」の世界に属するものなのではないかと思ったのです。「顕現」の意味を、ちゃんと理解しているわけではないのですが。「形而下」と言い変えても良いかもしれない。 SNSの世界もちょっとそんな感じで、解りやすいけれど意味の集積で潤いがないというか…。
それはそれで良いのですが、そればかりではトゲトゲして脳が焦げてしまいます。人間は寝ないと狂うみたいだし、どこかもっと夢の様に、見る人の心を浄化させる要素がないとダメだなー、などど思いました。
『高丘親王航海記』の解説(高橋克彦・著)にこんなことが書いてありました。
「この小説が果たして若い人たちにどれだけ理解されるだろうかという疑問だ。もちろんストーリーを追うことは簡単だ。描かれている幻想も正確に伝わると思う。しかし、底辺に流れている哀しみを超えた笑いや、生についての慈しみがそっくりそのままの形で心に響くとは思えない。その意味では、これは大人の小説だと思う。できるならば、四十になり、五十になって読み返して欲しい。その時期ごとに別の思いが生じるはずである。」
私がこの小説を最初に読んだのはおそらく17歳の時で、まだ高校生で、まさに彼の言う「若い人」だったのだけど、この一文を覚えていたわけではないのに、たまたま46歳の今、読み返してみたのでした。
そして、当時読み取れなかった様々な部分で、救われる思いがありました。
うまくいかなかった作品を次年に持ち越すことで、正直少し落ち込んでいたのですが、年末にこの作品を味わう事が出来て前向きな気分になれました。
この気持ちを大事に、今年一年乗り越えていきたいと思います。
皆さんにとっても良い年になります様に。 今年もよろしくお願いいたします。