『私の家は山の向こう』天安門事件のあとのテレサ・テン

『私の家は山の向こう テレサ・テン十年目の真実』を読んだ。
天安門事件以降のテレサの心の軌跡を辿って寂しくなる。

1989年5月26日、香港のハッピーヴァレー競馬場で、北京の学生運動を応援する集会でテレサが歌ったのは「我的家在山的那一邊(私の家は山の向こう)」という曲。

元は1936年に中国東北地方で作曲された抗日歌が、大陸から台湾に渡った兵士によりアレンジされて、60年代に反共歌として生まれ変わったのだそうだ。YouTubeで原曲も聴いたけど、こちらの方が断然普遍性の高い曲になっていて心に響く。

でも天安門事件の後、テレサはあまり歌わなくなってしまった。

<多数の死者が出た事件に対して歌うという行為で抗議することが果たして許されるのかどうか。>

中国の民衆のために何かしたいと思っていても、歌手だから歌うことしかできないという無力感。
そして、既に中国に返還されることが決まっていた香港の未来も憂いていた。

それから31年が経って、香港はまさに彼女が危惧したようになってしまっているのが悲しい。
今この本を読むと、アグネス・チョウさんの姿が、テレサの姿に二重写しになってくる。

テレサが最後に人前で歌ったのは、亡くなる年の1995年のお正月、タイ、チェンマイのメーピンホテルのカウントダウンイベントで、唐突に頼まれて歌った「梅花(メイファ)」という曲だった。

1971年の国連脱退で国際的に孤立した台湾で、お互いに励ましあうために民衆の間でよく歌われた曲らしい。
よく聴いていた曲だったので、逸話や歌詞を知って、ますます好きになってしまった。

私は天安門事件の時まだ高校生だったので、テレビで見た戦車の映像と、翌日世界史の先生が興奮した様子で語っていた記憶しかないけれど、それが何を意味するのか、当時はよく解らなかった。

テレサは、歌うことに無力を感じていたのかもしれないけれど、後世の人間にとっては彼女の歌を聴くことで、歴史的事件のさなか、人々がどんな気持ちを抱え、どんな眼差しで見つめていたのか、歴史書やニュース記事を読むよりも体温を伴って伝わってきて、気持ちを寄せることができる。

直接的な行動をとれないことへの気おくれも、
歌なんか歌っている場合じゃないのではないかという焦りも、
何もできずにいる歯がゆさも、表現に出来ることの限界も、
今なら少しだけわかるけど、芸術にはきっと別の役割があって、
時間はかかってもより深く人の心に浸透させる力を持っているのだと思う。

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